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J-Workout創設までの話~谷野雅紀~


おはようございます、こんにちは、こんばんは。

東京のライター長谷川です。

さて今回はJ-Workout創設〜伊佐拓晢〜続きの記事です。

読んでいない方は前回の記事も読んでいただけると、よりわかりやすくなっておりますので、よろしくお願いします。

今回はJ-Workout大阪代表 谷野雅紀さんへのインタビューです。

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(J-Workout大阪代表 谷野雅紀さん)

長谷川「谷野さんお久しぶりです。谷野さんお元気でしたか?」

長谷川「本日はお忙しい中、お時間頂きありがとうございます。では、伊佐さんの視点では出てこなかった、谷野さんが渡辺淳さんと出会うきっかけを教えてください。」

谷野さん「長谷川君こそ体調よく崩してるみたいやけど大丈夫?私はまぁ、元気やで~渡辺先生との出会いな~」

谷野さん「まず、私の友人であり現J-Workoutクライアントの神﨑 隼平君(頚椎損傷)から、当時、世界で唯一の脊髄損傷回復トレーニングジムであるアメリカのProject Walkの話を聞き、そこで働く唯一の日本人トレーナー渡辺淳の話を知って、その数ヵ月後に神埼が再び歩くことを目指す為にサンディエゴにあるProject Walkへ彼の介助者件渡辺のアシスタント候補生として一緒に渡米しました。」

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(写真中央が神﨑 隼平さん)

長谷川「私もJ-Workoutを知るきっかけになったのはアメリカのProject Walkがきっかけでした。やはり何かの縁があったのかもしれませんね。」

長谷川「では、その後渡米した谷野さん達の生活をお聞かせ下さい。」

谷野さん「長谷川君の大阪の実家と私の実家近所で、本当になんかの縁やろな。」

谷野さん「渡米後は神﨑君、渡辺さんと私で共同生活を開始し、数週間後に同じように日本から再び歩くことを目指し渡米した伊佐さん(現J-Workout代表取締役)が加わり一年ほどProject Walkと自宅でのトレーニングを4人で続けていきました。」

長谷川「先ほどアシスタント候補生とおっしゃいましたが、他にも候補生の方はいらっしゃったのですか?」

谷野さん「他にも私以外のアシスタント候補生がやってきたけど、過酷さのあまり途中で離脱していったわ。」

長谷川「なるほど。では、谷野さんが何故、渡辺さんのアシスタント候補生として残り、渡米中、渡辺さんのアシスタントとして、やりきったモチベーションは何だったのでしょうか?」

谷野さん「ん~。私も重度の頚髄損傷者の神﨑君の介助を一人で24時間行う中で渡辺先生からトレーニングの技術を学んでいく中で脊髄損傷という病態を知り何よりも「歩きたい、歩かせたい」という私トレーナーとクライアント神埼君や他の日本からProject Walkに渡米したクライアントの双方の思いがあったからこそ最後まで渡辺先生のアシスタントとして残ることができ、今も尚トレーナーを続ける上での私の糧となっています。」

長谷川「我々クライアントのもう一度歩きたい!という思いはトレーナーに伝わるのですね。やはり思いや気持ちというものは、それをきっかけにモチベーションになり、実行する為の心の支えになりますよね。」

長谷川「では、一年後、私の事前情報では渡辺さんと伊佐さんと共に帰国しJ-Workoutを設立したということを聞いております。実際の苦労話や当時の環境というものはあまり詳しく聞いておりませんので、そこの辺り詳しくお聞かせ下さい。」

谷野さん「J-Workout創設に至るまでは4人で帰国して限られた資金の中でトレーニングをするための物件を探し、理想とする空間を備えたものはなかなか見つからず、最初は神奈川県の新横浜にある障がい者スポーツセンターの中にあるトレーニングジムをクライアントの介助者として、こっそりトレーニングをしていました。」

谷野さん「その後に何とか見つかった物件は神奈川県の厚木にあるデイサービスセンターの一部屋で、広さとしては…15畳くらいかな?そこでJ-Workoutが本格的に始まって今の東京の木場にある物件に移転するまで、2回の移転を繰り返しながら去年の8月には2010年渡辺先生が大阪にJ-Workoutをオープンさせると言ってから長く時間はかかってしまいましたがやっと大阪にオープンさせるに至りました。」

谷野さん「アメリカから日本に帰国したのも、神奈川から東京へ移転したのも、東京以外の大阪に出店したのも、全ては渡辺先生のクライアントが少しでもより良い環境でトレーニングを受けられるように、少しでも多くの人にもう一度歩く夢を、チャンスを与えたい、サポートしたいという気持ちが根底にあった為です。」

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(クライアントさんにトレーニングを行っている谷野さん)

長谷川「やはりJ-Workoutを語る上において渡辺さんは欠かせないキーマンですね。貴重なお時間いただき、すばらしいお話を聞かせていただきありがとうございました。」

谷野さん「長谷川君も大阪の実家帰ってきたときはJ-Workout大阪によってや~こちらこそありがとうな。また大阪でゆっくり話しましょう」

いかがでしたでしょうか?伊佐さんと谷野さんに話していただいた私が通う前のJ-Workout。

私は2010年に上京してトレーニングを開始しました。その当時はまだホテルと大阪の実家を往復する生活だったのですが、疲れるばかりで、どこかアパートを探そうと決心し、その時偶然アパートを探しているのなら…と渡辺さんに父と暮らす為の物件を紹介して頂き、さぁこれから東京でトレーニングがんばるぞ!という11月に、偶然私の誕生日が重なりJ-Workoutのバースデーカードをいただきその約2週間後のマラソン競技中に渡辺さんは亡くなられました。

いただいたバースデーカードには「ご近所さんですからたくさんトレーニングして成果を上げて下さいJun」と書いてありました。私にとってはそれが渡辺さんとの最後の言葉です。

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あれからもう6年が過ぎようとしています。当時はベッドから移乗することも困難でしたが、ヘルパーを使いながら一人でマンションに住み、車を運転してJ-Workoutに通っています。それほどADLは改善されました。

そして数秒ですが歩行器を使い立位をとることもできるようになり、サポートがあれば歩行と呼べるのかわかりませんが約7m歩行することも可能になりました。

次回は私長谷川がその立位や歩行を披露したイベント「KNOW  NO LIMIT」について書いていきたいと思っています。

こうご期待!


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