Be Happy! 障がい者のQOLアップを目指して

Be Happy!ライターTASKE


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1974年12月13日

母と婚約予定だった今は亡き父との間に東京・神田で健常者として生まれ、湘南・茅ヶ崎で物心付いた時から母子家庭で育つ。

当時は明るく活発的な性格で、小学4,5年の頃に通ってた学習塾の講師に

「この子、中学へ行ったら出来ますよ」

と言われてた程才能があった。

当時、将来の夢は漫画家だった。

1985年11月27日17:10〜

母が都内の警察署へ行ってる間で交通事故に遭い、一時は心電図1本になったりと生死の境目を彷徨い、
・頭部外傷
・左動眼麻痺
・難聴
・右手麻痺(右片麻痺、右上下肢軽度機能障害)
などを後遺症として残す。

約3ヶ月程の昏睡状態の期間を経て、約半年後、諸事情により自主退院する。複雑骨折したので、車椅子生活も経験した。

当時は、言語障害も少しあり吃音っぽく喋りにくく、まだ病名すらなかった高次脳機能障害とも診断されてなかったので、なぜこんなに勉強が頭に入らなくなったのかとか自覚症状が余りなかったし、何をやるにも手探りの毎日だった。
さらに、言葉を発する度に脳へ響くから、疲れ易い。他にも難聴なのでコミュニケーション障害が酷く、常に相手の言葉が100%聞き取れる事はない。

そんな時、中学1年の頃の担任に「聞こえない振りをするな!」と心ない言葉を言われたり、以後、教師や生徒にいじめを受けてたり、中卒後、家の事情で上京してからも壮絶な人生を強いられて来た。

長年そんな時を過ごし、一浪しても不合格。
その後、当時、以前から気になってた漫画の専門学校へ通うも主に右手麻痺や集中力が長続きしないなどが原因で、左手で描けるようになるも断念。

卒業後、大検(現・高卒検定)を10年以上掛けてやっと全科目クリアするも、もはや大学受験する気力がないし金もない。

自分にとって高次脳機能障害と診断されてなかった時期は、まるで戦争を知らない平和ボケに浸った子供のような時期だった。

2011年3月〜

事故から25年4ヶ月、36歳になって初めて高次脳機能障害と診断を受けた。
「自分の今までのやり切れなさの根源は、こいつのせいだったのかー!」みたいな思いを強く抱きながら、此処からリベンジの序章は始まった。

NHK Eテレ「バリバラ」出演、SHOW-1グランプリ4代目5代目王者。そして講演会や自ら発起人兼元代表を務める高次脳機能障害当事者会家族会など、そこそこ生き甲斐を感じながら過去に失った思いを取り戻したいと言う願いで、もっとこの脳の病気を色んな方々に知って貰いたい。

そして、四十路を迎え、統合失調症の妻と交際10年目を機に2015年9月に結婚し、今後、2人でどんな家庭を築いて行けるか、子作り出来るかなどを共に考え、そして、老後の生活も視野に入れて当事者家族同士で可能性を見出していきたいと思っています。

こんな僕ですが、宜しくお願いします。


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